天誅組とは…「序章」より
幕末、大和国への行幸の詔が出された。攘夷祈願を行い天皇を推し官軍を立て、武力倒幕へもちこむ計画があり、約四十名の志士たちが密かに集結した。公家中山忠光を主将に、多くが二十代の若者たちであった。一行は皇軍御先鋒団を結成し、大和国南部を支配する五條代官所へ討ち入った。これが「天誅組」である。彼らは約七万石の幕府領を占拠し、新政府「五條御政府」を打ち立てたが、翌日、行幸反対派の公家による宮中クーデターが起こり行幸は中止となってしまう。わずか一日で彼ら天誅組は、皇軍御先鋒の大義名分を失い、代官所を襲撃した逆賊となってしまったのである。
その後の、天誅組の四十日に渡って幕府軍を翻弄し続けた道のりを巡る本。
<目次>
奈良県内の行軍図/相関図/行軍年表
第一章 奈良県 倒幕の先駆けとして
第二章 大阪府 楠木正成の地を行く
第三章 主な隊士の関連地
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